Try to challenge

PR塾で学び、行動力がパワーUP

今生でやり残したことを省みて、PR入塾

昨年十一月   私がPR 塾に迷うことなく申し込んだのは、コロナ禍でいつこの世を去ることになってもやり残したことはないか、を考えたからでした。

母のこと、家の事、兄家族のこと、不動産管理のこと、 自分で言うのもなんだけど、ハンディがあるからこその戦略的マネージメント手法で、精一杯行ってきたという自負があるからか、まったく後悔はありません。

しかし、自分を育てた街・地域に対して、果たして自分はどれだけお返しをしているか・・・と考えたとき、一人で広島とフラワーフェス構想を「ああでもない、こうでもない」という思いだけで何も行動してなかったと気づいたのです。

 

現存の広島フラワーフェスティバル をバージョンアップしたい

20年ぶりに広島に帰って、呉という潜水艦など海軍があるエリアに住む友人のお見舞いに母と一緒に行きました。

その帰り道、夕暮れ時に浮かぶ瀬戸内海の島々の風景と穏やかな海を見て「ここはどこ?」「日本?」と広島が持つ美しさの一つを再発見☆彡  見慣れぬ景色に声を出すほど感動したものです。

しかし、その後6年間も鉄の鎧兜で家に引きこもってましたが、地域ボランティアとの出会いにより武装解除するだけでなく、 大型の福祉車両に乗って県北のバラで有名な湧永庭園まで外出するようになりました。深呼吸しながら生きてる喜びと、広島の郊外に存在する高貴なバラ庭園で「イギリスにいるみたい!」と大感激。

広島には地方や日本を感じさせないホスピタリティ・異国情緒たっぷりな無料庭園があるんです。

キョーレオピンで有名な湧永製薬が、企業の健康で長生きビジョンを、10年かけて社員で造った庭園で表し、一般公開している姿勢に心底感動したものです。

車椅子に乗ったデイサービスの人たちもバスで乗りつけてきます。

もちろんお手洗いは心配に及びません。障害者用の配慮も広さも完璧です。

また、お弁当持参で来園される方には、バラ柄のアイアンチェアとテーブル、日よけパラソル、自動販売機も用意されています。(こんなところってある?!)

しょっちゅう行くことはできないけれど、ここの存在が私を勇気づけ、バリアフリー完備広島No1と誇りに思えて支えになっています。

 

そういう思いで広島を考えると、持っている観光資源や人的なもの、カープやサンフレッチェ、いくらでもあるのですが、花好きな私にどうしても「残念だなあ」と思わせるのが、5月のフラワーフェスティバルなのです。(私が中学校の頃スタート)

 

要介護者の私一人が ヘルパーさんを相手に「広島といえばフラワー!」と認知されるプランをプレゼンしてきて20年。(関係者にメールでもなんでも送らんかい!と自分に喝)

 

直感的に、 PR と言うキーワードで OJT PR 塾に入塾しました。 リアル講義だったら諦めてたけどズームを使った学び方が私を後押し。

 広島ブランディング

 

・広島市内には  県立美術館 現代美術館  ひろしま美術館 と狭いエリアに三つもある。

・5月のフラワーフェスティバルは観客動員数が100万以上

・ よさこい節など参加型フフェスティバル

・子供がいる人は地元でも参加する人が多い 県外の人が多い

 

広島フラワーのフラワーには平和の思いが込められています。

私は、現在のフラワーフェスを否定するんじゃなく、もっと盛り上げる方法はないか、しかも持っているもの、お金をかけないで市民参加を促す仕組みを作り上げる方法があるはずだ、と、どん欲なだけなんです。

 

世界的に有名なイギリスのチェルシーフラワーガーデニングショー。そこでは、日本人がグランプリに輝いたことがあります。ガーデナーにとっては出場する機会を得るだけでも光栄なこと。そんなチェルシーフラワーガーデニングショーのように 広島フラワーフェスティバルもなるといいなぁと心から願う気持ちは今も変わりません。 少しずつ...でいいんです。

 なぜ今 花・フラワーなのか

私は小さい頃から花が好き。畑で一人遊びする時 小さな草花をじーっと見たり、レンゲ畑で仰向けにゴロンと横たわり陽を浴びる・・・とか。

海外に行っていった時のことを思い出すと、花や緑・景色が公園自然のものに圧倒されたシーンがスライドショーのように映し出されます。 

時が経っても思い出すものは、花やガーデンからのものが多いです。

10年認知症の母の介護して気づいたことは、目の前にある花の美しさに感動する心は、たとえ認知症や見当識障害があっても変わらないこと。花が持つ力は凄い!

私自身も年を重ねるごとに、美味しいものを食べようと思ってもたくさん食べられない。洋服  その他所有への欲がなくなって 代わりに 一瞬の感動をもたらすの無形のもの 人情 自然の美しさに感動できるようになってきました。

ターゲット層を考えるとバリアフリー推進

これから超高齢化社会になった時
訪れた人々の心に残るものは何だろう!?
また年をとっても行ってみたいなと思ってもらえる街の美しさは? 

少子高齢化社会になって 旅行しながら広島に経済的な寄与する人はアクティブ高齢者。

ターゲットが分かればイメージ戦略を作りやすくなってきます。

 

 OJTPR 塾に入って… 

 メインの講義は月に1回。1時から5時までぶっ続け。

講義の後も質問できる時間が1時間30分。

月に1回メディア関係の人に向けて1分間のプレゼンをするチャンスをもらえます。 

資料作成の PowerPoint の使い方も1年間でずいぶん上達しました。

 10月最後のメディアプレゼンの時 塾長の人から「りえちゃん上手になったね」と内容よりもプレゼン資料作成を褒めていただきました。

すごーく嬉しかったです。 

これは、前半の半年は、何が言いたいんだかわからないほど文字いっぱい、あれもこれもと盛り込みすぎ。伝えたいことを視覚的に絞り込んでわかりやすくすることが大事だと、学習することができた大きかったです。

私は図々しくも月一回のメディア関係者へのプレゼンを欠かすことなくチャレンジし続けました。「バリアフリーアパート」「うどん おツルさん」「介護マネージメント」など。 1分のトークで Zoom 画面共有の操作しながらお伝えすることは簡単なようで簡単ではないんですね。TV ・雑誌・新聞・ライター・出版関係者から後日印象に残った人10名前後の名前とコメントがあり、それも参考になります。

10回のうち後半4回ほどメディア関係者に惜しいも含めて印象に残せたことも実績となります。

最後までトークは時間内にできませんでしたが、明らかに成長したことが「リサーチ」「分析」「PR設計資料作り」です。

 先週末、私が 閉ざした心を少しずつ解放するきっかけを作ってくださった社会福祉協議会で、今年初めてのリアル開催講座でプレゼンさせていただきました。来年1月にも講演活動の予定です。

これも PR塾に入ってアウトプットの大切さを学んだおかげです。私の人生これから!

 

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会社の投稿分です またディスクリプションを簡単に短い文章でお願いします
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もちろんです。会社の投稿内容を教えていただければ、そのディスクリプションを作成いたします。投稿内容に関する詳細を提供してください。

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このビジネスコンテストに応募した理由は、深刻化する介護問題に対し、具体的かつ実行可能な解決策を提案したいという強い動機からです。長年介護を受け、認知症の母親のダブル介護、介護難民の一歩手前に立たされた経験、そして介護現場で働くヘルパーの方々が直面するストレスや離職問題、在宅訪問介護サービスの提供会社の減少という現実を今、まさに体感中です。これらの経験から、10年後の介護の未来に対する深刻な懸念と、救済されない人たちへの正義感が、私の行動を促しました。

今のままでは、全ての介護が必要な人々の約1/3が、自らの希望通りに在宅での生活を送ること、また施設への入所が困難になると予想しています。この危機的状況に対処するため、「ファミリーケアナビ」という新規事業を立ち上げる必要があると考えました。遠隔介護マネジメントプランを提案し、早期の準備と家族全員でのケアプラン作成を社会に実装する必要性を感じています。
このビジネスコンテストを通じて、このプランが社会的課題に対する具体的かつ実行可能な解決策として認識され、一歩一歩実現に向けて進むことを願っています。

弊社のビジョンは、介護を必要とするすべての人が、住み慣れたわが家で長く尊厳を持って生活できる社会の構築です。

ビジネスコンテストファイナリスト5名に選ばれ最終審査へ

株式会社LITAプロデュース I'meビジネスコンテスト2024は、一時審査、二次審査、そして2024年3月20日(水)Potential Bloomingをテーマにしたビジネスコンテストの最終審査が東京御茶ノ水で行われました。ファイナリスト5名は、それぞれが直面し、苦悩した経験をもとに、社会が抱える課題をビジネスでどうやって解決し、社会を変えていくか、100名の参加者の中発表を行いました。

弊社代表はオンラインで発表させていただき、タイトル概要は以下の通りです。

プランタイトル
「離れていてもできる遠隔介護 ファミリーケアナビ 」
プラン概要
「遠隔介護マネジメントを核とした家族主導の計画と情報共有で、どこにいても介護参加を実現し、未来のケアと幸せを共に創る」

▼開催日時
3月20日(祝・水)13:00〜16:30(12:30 開場)

▼会場・アクセス
東京都千代田区神田駿河台4-2-5
御茶ノ水NKビル(トライエッジ御茶ノ水)11階

▼審査員

**株式会社エアークローゼット
代表取締役社長 兼 CEO 天沼聰様
**freee株式会社
起業時代統括マネージャー 磯貝美紀 様
**障がい者みらい創造センター
理事長 竹内亜沙美様
**相模女子大学大学院
社会起業研究科教授 金森剛様
**一般社団法人まちはチームだ / 株式会社HOA
代表理事 代表取締役 岡秀樹様

多くのフィードバックを直接審査員の皆様からいただく幸運に恵まれました。

エレキが目指す介護の未来と社会

私たちが解決したいのは、高齢者や障害者が直面する介護の課題です。日本の高齢者人口が今後30%から40%に増加する中、介護は社会全体の重要な問題となります。私たちの目標は、遠隔介護メソッドを普及させ、誰もが自分の人生と仕事を大切にしながら介護に取り組める社会を実現することです。このビジョンを達成することで、すべての人が尊厳を持ち、自立した生活を送ることができる社会を築きたいと考えています。

その根底にあるのは、介護に関わる全員が直面する多層的・多面的な課題です。家族だけでなく、給与が低くストレスが多いヘルパー、そして、問い合わせ相談の質問に対応しきれない行政の窓口も含まれます。

高齢化が進む中で、介護が必要になった際に処理しきれない状況を予測しています。介護は、今後予防的な方向性を模索し前倒しなければ、社会保障費の増大や利用者の負担額の上昇が避けられません。私たちが考える解決策は、早期から家族がチームとなり、経済的資源を活用しつつ、本人の意志を尊重したケアプランを立てることです。現在、親子間や医師との情報交換がうまくいかず、ステレオタイプな介護が行われがちです。しかし、介護保険制度だけに依存するのではなく、さまざまなサービスを上手に活用することが重要で、介護保険が全てをカバーしないという認識を持つ必要があります。どういうことかと言いますと、多くの人が介護保険制度が万能であると誤解していますが、実際には多くの制約があり、その制度だけでは十分なサポートがうけられません。

これらの認識から、私たちは家族が自ら情報を整理し、プロジェクトマネジメントと逆算思考で理想の介護に近づける計画を立てることが解決策だと考えています。介護は、単にケアを提供するだけではなく、ウェルビーイング、すなわち元気でいることも重要視する必要があり、セットで同時に行います。

このビジョンを達成するためには、介護に対する社会全体の意識改革が必要です。

私たちは、「介護=重い負担」という既存のイメージを変え、「先手必勝」「マネジメント」としての介護を普及させることで、すべての人が尊厳を持って、自立した生活を送ることができる社会を目指しています。

最優秀賞の受賞の喜びを社会実装に向けた力に

ファイナリストの皆様の授業プランとピッチがとても素晴らしく、どなたが受賞しても良いピッチでした。受賞できたことは誠に光栄です。とにかく持続可能な介護の未来を構築したい一心でここまで来ました。受賞の喜びを社会実装に向けた力に変えて気を引き締めてスタートしで参ります。

この日を迎えるまで数えきれない人たちのサポートと、ご尽力をいただきました。

心より御礼申し上げます。
ChatGPT
深刻な介護問題に対する革新的な解決策を提案する弊社のミッションは、家族主導で進める遠隔介護マネジメントプラン「ファミリーケアナビ」によって、介護を必要とするすべての人が尊厳を持って自宅で生活できる未来を目指しています。介護の経験と現場の課題に直面し、これらに対応するために立ち上げたこのプロジェクトは、2024年のI'meビジネスコンテストで最終審査に進出し、私たちのビジョンと実行計画を広く伝える機会を得ました。社会全体で介護に対する認識を変え、全ての人が自立した尊厳ある生活を送れる社会を実現するため、私たちはこの挑戦を続けていきます。

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