広島FM『SONGS on your LIPS』に出演させていただいたことは、私にとって大きな節目となりました。
人生の4曲を選び、その曲にまつわるエピソードを語る――私にとっては、しまい込んでいた記憶の引き出しを開けていくような、静かで深い時間でした。
この投稿を「日記」カテゴリーに入れる理由は、読んでいただけるとわかると思いますが、全く個人的な話だからです。
誰かの人生と、自分の人生が交わる瞬間。
そこには、理由ではなく「意味」があるのかもしれません。
いろいろなご縁がいくつも重なって、今生かされていることに気づきます。人間だけじゃなく全ての生物が…
選曲の裏にあった、過去の自分との対話
音楽の力は不思議ですね。いつもは思い出さないような記憶も、1曲のイントロで鮮やかに蘇ります。特に今回のラジオ出演にあたって選んだ4曲のうち、Stingの『Englishman in New York』サラブライトマン『Time to Say Goodbye』は、まさにそう。
この曲を聴くと、東京・目黒で暮らしていた頃の自分がすぐ浮かびます。愛猫トラベえと暮らしながら、ストレスや病と向き合っていた20代後半の私。関節リウマチという病名を受け入れることができず、ただ「元気な体に戻りたい」と願っていたあの頃。パートナーとの関係もギクシャクし、心も身体も不安定で、音楽や本、自然療法に救いを求めていました。
迷い、憂鬱、うつ…。今の私からは想像もできないような、出口のない日々。でも今振り返ると、そんな自分も大切な「自分の一部」だったのだと思えるようになっています。
月日がたって初めてわかることの方が多い。でも、「もし・・・あの時・・・」など過去を振り返った空想を思い巡らしたりはしないのです。
とうの昔に、ありがたい・感謝の気持ちだけをシンプルにもち、自分はまだ幸せなの方だと比較からの思いや、もし○○ならといった”相対的な立ち位置”は、何も変わらない不幸の始まりと思うようになって、
今を受け入れる~
そのことの方がはるかに重要だとわかっているから。
忘れていた“彼”のこと
記憶を甦らせ、今となっては懐かしい記憶をたどって4曲を選んでの収録。ドキドキの4月26日の放送、5月3日放送(後編)が終わった後日、ある知らせが届きました。
かつて青春を共にして一緒に大人になり、結婚(後に離婚)したパートナーが、数年前に亡くなっていたというのです。連絡をくれたのは、彼のご家族。
私はその知らせを聞いたとき、すぐには言葉が見つからなかったけど思い出したことが一つ。昨年?いや数年前だったか、実は驚くことに夢に彼が出てきたことがあり、嫌な感じではなく少し不思議に思ったりもした。
まぁキー局の関連会社で仕事してるだろうと思いながら、チョインソン氏や中田ヒデが夢に出てきたことはあっても(笑)それまでは夢などは見てない気がしてやはり気になったのか、彼の同級生の夫がいる私の親しい友人に、彼の夢を見た話はしないで、さりげなく聞いたこともありました。
ただ静かに私の中に残っていた気配のようなもの。それがこうして現実の“別れ”として知らされたとき、戸惑うほどの深い感情が湧いてきました。
若い頃の遠い記憶になっていましたが、音楽を選びながら蘇ってきた鮮やかな思い出。思い出は浄化されると言うけど、本当にそう感じました。結婚までが“長すぎた春”――私たちは、結婚がゴールだったね、と二人で話したこともありました。一緒に大人になり、八ヶ岳や信州へよくドライブして楽しかった思い出もたくさん。😊
離婚した後も、仲良くしていた彼の同級生仲間たちと六本木で会ったことがありました。捕まらないタクシーに翌日勤務がある私と、彼の友人の勤務医とでタクシーに乗りこみ、“じゃあね!さよなら~”と笑って彼に手を振り、ドア越しに見た、彼の笑った顔が最後の記憶です。
それまではいつも一緒に目黒の平町に帰っていたのに、その日は彼の友人が私を送ってくれました。
帰りの車内で、整形外科医の友人と関節リウマチの話をした後「本当は天文学者になりたかった」と話してくれたのが印象に残って、夢って、誰にも言わずしまっているものなんだなと。
別れた彼にも、そんな夢があったのかもしれない――
ギター小僧&ローランドピアノでよく弾いてた曲は、Merry Christmas Mr. Lawrence / Ryuichi Sakamoto
学歴も仕事も“超エリート”と呼ばれる彼らとは、きっともう会うことはないのだろうな……そう思いながら、車を降りました。さようなら、一緒に飲んで学生時代を楽しく過ごし、大人になった仲間たち。
私はといえば気持ちを新たに
羽田空港近くの整備ビルにあるJALの訓練部に勤務していた頃、業務グループにいた私のもとに、ある日、ファックスが送られてきました。
空港に隣接したビルに入るには安全上の観点で事前申請で名前が必要でした。撮影で設備使用する申請の名前の中に別れた彼の名前が入っていて驚いたこともありました。広い東京なのに...why?!見なかったことにして、さらりと接近遭遇を避けたりも。
彼との出会いがなければ、私の今はなかったとはっきり理解できます。関節リウマチに罹患して長く暗いトンネルで過ごすことになる前に、まるで神様からの贈り物のように彼と過ごした日々は、鮮やかな青春そのもの。そのことを忘れていたわけじゃないけれど、あまりに過去になりすぎて前世のような記憶になっていました。
しかし、今回、人生にまつわる音楽を4曲選ぶにあたって行き着いた曲で、彼のことを思い出した後に、彼が旅だった連絡を受けたことは偶然ではなく、目に見えない力があるようにさえ思ったほどです。
だからきっと、心のどこかで繋がりは消えていなかったのでしょう。
今、私は「これから」を生きている
SONGS on your LIPSの収録では、こうした話まではしていませんが。。。ただ、曲の選定や、佐々木会長との対話の中で、私自身が「どんな人生を歩んできたか」を改めて考える時間になりました。
病を得て地に足をつけ、介護を通じて家族の尊厳と向き合ってきた日々。離婚も、絶望も、長い入院生活もありました。でも今、私は「これからを生きる」と決めています。
思い出と、思いやりがつながる場所へ
今私が取り組んでいる「遠隔介護マネジメント」や「思いやり認証プロジェクト」も、実はすべて、過去の体験から生まれたものです。誰もが自分らしく生き、尊厳を保ちながら老いていける社会。それは、ほんの小さな思いやりの積み重ねから生まれるものだと思っています。
今回、ラジオ出演という機会をいただき、自分の声で、自分の言葉で語ることができたこと。そして、それを聴いてくださった方々が「自分も少し先の準備をしてみようかな」「今の自分を見つめ受け入れようかな」と思ってくださったとしたら、それが私にとって何よりの喜びです。
最後に
介護の話ではなくても、人生の話はやはり、誰かの心と響き合うように思います。
私は今、介護難民になりながら「生きることそのもの」を噛みしめ味わっているような日々。いつも通り、でも少し丁寧に。今日という日を大切に過ごしたいと心から強く思っています。
そういえば、離婚を決めた後でお互いフランクに話ができるようになると「僕のことは書かないでね」と笑いながら突拍子もないことをダイニングで言われたことを思い出しました。「何言っってるのぉ~ @@ガハハ」呆れるというか、ブログもなかった時代に、それも国語は10段階で5だった私が本など書けるわけないし、うぬぼれ?何様よアナタ!と言いたいところを我慢し「書くわけないでしょう!」!(^^)!と言ったはずなのに...(アレレ今書いてる💦)
2003年から始めたホームページやブログには書かないで、小さな約束を守りましたよ。
でもー今日だけは、感謝の気持ちを込めて少しだけ書いておきますね。私の中でも、ひとつの物語がそっと幕を下ろした気がして。
私が思い出したからこそ、知らせが届いたのか。
それとも――不思議な感覚のまま、私は今こうして書いていますが、知らせてくださった彼の家族もよく連絡してくださったと思うし、本当は知っていたのに“りえちゃんには知らせないでおこう”と気遣ってくれていた友人にも心から感謝しています。
静かに、また私の心の中にしまっておきます。
どうか、安らかに。ありがとう。
そして、あの日出会った誰かの“思い出の一部”として、私の存在も穏やかであれたらと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
西本理恵 2025年5月11日