Try to challenge

チャレンジ1 パソコン音痴、でもホームページを作ろう

「りえさん、なんかもったいないわね」ケアマネージャーの一言から始まったHP作成

Behind story

チャレンジャー西本理恵 ~どん底からV字快復ストーリー

若い頃の私は機械音痴.。ビデオの録画予約も何度説明されてもわからない、できない。ポストイットを貼ってもらってもわからない、これ以上説明できないとまで言われたほど。それなのに会社を辞めた時、MacのPCを買えば、人生の道が開けるかも?!と買ってしまう。
届いてすぐ、自分の手には負えないと放置。状況を知った日立勤務の友人夫妻に救われ、通信設定をしてもらう。奥様は「Niftyホームページは無料(※当時)こんなこともできるのよ」と、短時間で愛猫の画像を配置した「ラクラクワクワクRieリビング」というHPトップページ作成を見せてもらう。お助け隊の東大・筑波大の秀才夫婦と、幼稚園児レベルのワタシとは会話が成り立たない中、「HP、私にもできるかも」と、なぜか思ってしまう。このおめでたい思い込みが、後の私の人生につながっていった。
その後、東京から広島に帰郷して、長期入院、引きこもりと、要介護5どん底を経験して心を閉ざした廃人生活を送っていた…

ある日、ケアマネージャーが、

「りえさん、なんかもったいないわね。いろんな経験や能力もあるのに…」

と、私に何かやりたいことや希望がないかと尋ねたのです。
今では、その問いは本当にありがたく感謝しかないのです。しかし、帰郷後、心をピシャリと閉ざしていた当時の私は棘が刺さったように痛いもでした。そんなこともあってぶっきらぼうに、

「ホームページ作成」

と、東京で助っ人博士二人にホームページのトップページを作ってもらったことを思い出して、なんとなく答えたのでした。早くケアマネージャーに帰ってもらいたい、ひきこもりの心理です。

なんとなく言葉にする 書く、それは「立ち直り」が始まる一歩

しばらくして連絡がありました。私は、HPのことなどすっかり忘れていました。でも、そのケアマネは、社会福祉協議会のボランティアの方に事情を話して、自宅でパソコンを習えるよう話をまとめてくださっていたのです。戸惑ったのは私のほうでした。願ってもないありがたい気持ちと、ひきこもりの緩んだ生活が緊張で乱れないか、という不安と。

メモ

ケアマネージャーもいろんなタイプの方がいます。 何がありがたかったかと言うと、私の将来、可能性を引き出すよう動いていてくださったことです。
ケアマネージャー、文字通り障害を持った人たちが将来自分たちで生きていけるよう長期スパンの視点を持ってマネジメントする。「介護会社(福祉団体)を作ることもできるのよ...理恵さんどう?」と、家に閉じこもり、殻を壊されないよう必死に守っている私に一石を投じる。HP作成支援だけで十分ありがたいことで他の提案はキャパオーヴァーでした。他の障碍者、親達は、このケアマネとの会話で触発され、ヘルパー派遣もある福祉会社NPOを設立し、現在も存続中。

PCレッスン初日。ドキドキの家族以外の人との対面。近くにある三菱重工を退職後、ボランティア活動をされていたE川さん。ひきこもり経験がある人にはわかってもらえる「対面恐怖」はやっかいなものですが…

「ホームページを作った事は無いけれど、僕も公民館のサイトを作って勉強して、その後りえさんに教えていくから、一緒に勉強していきましょう」

このように、声楽を楽しむ美声で優しく語りかけられ、それまでの心配は吹っ飛び、その日からホームページ作りが始まりました。世の中には、退職後もこんなに情熱を持って活動し、慈愛に満ちた方もいらっしゃるんだ…と、改めて知らない世界が現存することに気づかせてもらいました。

嬉しかったポイント

ボランティアの人が「自分もHP作成は初めて」と❶同じ立ち位置を強調。(上から目線、してあげる感なし)❷一緒に○○しましょう~と並走しながらサポート この2つが当時の私がすんなり開始できた理由

誰も周囲はマックを使ってなかったからウィンドウズにパソコンを変える。エクスプローラやパソコンの基本操作もわかってなかった私。情熱的なE川さんのおかげで機械音痴の烙印を少しだけ返上できました!

▼ HP作成し始めて変化 「楽しい」が始まる

インターネット上に、自分がこうしたいなと思ったも疑問は、ネット上に必ず答えがあるので検索。毎日自分で問題を解決していき、できたときの喜びと言ったら、もう最高。!(^^)! 楽しくて楽しくて。次第に私の生活に、「楽しい」要素が増えていきました。気に入れば、元来とことんやりたくなる性格。頭の部分はまだ大丈夫!と自分を鼓舞し続けて肯定。少し前まで病院で廃人になりかけていたのに… 私は、ケアマネージャーのお陰で生き生きとしてきました。

作業療法だった、HP作成  癒し~自信

ホームページを作成するにあたって、その時々に感じる感覚的な色や形を表現できることが特に魅力的だったように思います。その喜びは本当にそれまで味わったことがないものでした。 マウスクリックだけでいいんですから。私には楽々ワーク。ホームページ上で色や形を決めて画面を自分の思い通りに作り上げていく過程が癒しであり、創造の喜びとパワーを与えてくれたように思います。

「私にもできるじゃないの」という自信。

助っ人夫妻にホームページが完成したことを伝えると、

「ホームページ、大丈夫かしらと、実は心配していたのよ」

と。それもそのはず、過去、私は彼らのわかりやすい説明でさえ理解できていなかったからです。

友人にPCの種蒔きしてもらったことが、帰郷、引きこもり、人工関節抜去、長期入院、♿といろんなことがあっても、ケアマネジャー、ボランティアさんと幸運な出会いのおかげで発芽、成長と続いたように思っています。念願のHPができたことは、自分を取り戻す小さな第一歩。

1995 IT助っ人夫妻がインターネット設定 Performa5210
2003 社会福祉協ボランティアとHP作成レッスン開始
2004 最初HPが完成

ー拙著『立ち直る力』より

できないこと、マイナスの部分をゼロにする努力は必要だと思いますが、端からもうできないことを考えたって仕方がないので、放棄する潔さも大切。私にできる事は、狭い開口部から光を求めてツルを伸ばす植物のように、先ず小さな経験と成功から何かを見つけ出していく、そんな感じでした。選択肢が多い中から選ぶわけではないので、迷いもなくラクです。不自由さを嘆くより、小さな可能性を見いだして、それを追及し続けることを目指しました。不思議なことに、小さく楽なことに自分の可能な力を最大限に使っていると、能力が高くなっていることに気付きました。

自分一人では抜け出さなかった穴から手助けしてもらったことで結果が出て自信がつき、また次のチャレンジ目標ができていきました。

チャレンジ2 機械音痴のワタシが、韓流に乗って(どっぷりつかって)DVD録画や画像編集Photoshopにのめり込んでいく話です。

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会社の投稿分です またディスクリプションを簡単に短い文章でお願いします
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もちろんです。会社の投稿内容を教えていただければ、そのディスクリプションを作成いたします。投稿内容に関する詳細を提供してください。

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このビジネスコンテストに応募した理由は、深刻化する介護問題に対し、具体的かつ実行可能な解決策を提案したいという強い動機からです。長年介護を受け、認知症の母親のダブル介護、介護難民の一歩手前に立たされた経験、そして介護現場で働くヘルパーの方々が直面するストレスや離職問題、在宅訪問介護サービスの提供会社の減少という現実を今、まさに体感中です。これらの経験から、10年後の介護の未来に対する深刻な懸念と、救済されない人たちへの正義感が、私の行動を促しました。

今のままでは、全ての介護が必要な人々の約1/3が、自らの希望通りに在宅での生活を送ること、また施設への入所が困難になると予想しています。この危機的状況に対処するため、「ファミリーケアナビ」という新規事業を立ち上げる必要があると考えました。遠隔介護マネジメントプランを提案し、早期の準備と家族全員でのケアプラン作成を社会に実装する必要性を感じています。
このビジネスコンテストを通じて、このプランが社会的課題に対する具体的かつ実行可能な解決策として認識され、一歩一歩実現に向けて進むことを願っています。

弊社のビジョンは、介護を必要とするすべての人が、住み慣れたわが家で長く尊厳を持って生活できる社会の構築です。

ビジネスコンテストファイナリスト5名に選ばれ最終審査へ

株式会社LITAプロデュース I'meビジネスコンテスト2024は、一時審査、二次審査、そして2024年3月20日(水)Potential Bloomingをテーマにしたビジネスコンテストの最終審査が東京御茶ノ水で行われました。ファイナリスト5名は、それぞれが直面し、苦悩した経験をもとに、社会が抱える課題をビジネスでどうやって解決し、社会を変えていくか、100名の参加者の中発表を行いました。

弊社代表はオンラインで発表させていただき、タイトル概要は以下の通りです。

プランタイトル
「離れていてもできる遠隔介護 ファミリーケアナビ 」
プラン概要
「遠隔介護マネジメントを核とした家族主導の計画と情報共有で、どこにいても介護参加を実現し、未来のケアと幸せを共に創る」

▼開催日時
3月20日(祝・水)13:00〜16:30(12:30 開場)

▼会場・アクセス
東京都千代田区神田駿河台4-2-5
御茶ノ水NKビル(トライエッジ御茶ノ水)11階

▼審査員

**株式会社エアークローゼット
代表取締役社長 兼 CEO 天沼聰様
**freee株式会社
起業時代統括マネージャー 磯貝美紀 様
**障がい者みらい創造センター
理事長 竹内亜沙美様
**相模女子大学大学院
社会起業研究科教授 金森剛様
**一般社団法人まちはチームだ / 株式会社HOA
代表理事 代表取締役 岡秀樹様

多くのフィードバックを直接審査員の皆様からいただく幸運に恵まれました。

エレキが目指す介護の未来と社会

私たちが解決したいのは、高齢者や障害者が直面する介護の課題です。日本の高齢者人口が今後30%から40%に増加する中、介護は社会全体の重要な問題となります。私たちの目標は、遠隔介護メソッドを普及させ、誰もが自分の人生と仕事を大切にしながら介護に取り組める社会を実現することです。このビジョンを達成することで、すべての人が尊厳を持ち、自立した生活を送ることができる社会を築きたいと考えています。

その根底にあるのは、介護に関わる全員が直面する多層的・多面的な課題です。家族だけでなく、給与が低くストレスが多いヘルパー、そして、問い合わせ相談の質問に対応しきれない行政の窓口も含まれます。

高齢化が進む中で、介護が必要になった際に処理しきれない状況を予測しています。介護は、今後予防的な方向性を模索し前倒しなければ、社会保障費の増大や利用者の負担額の上昇が避けられません。私たちが考える解決策は、早期から家族がチームとなり、経済的資源を活用しつつ、本人の意志を尊重したケアプランを立てることです。現在、親子間や医師との情報交換がうまくいかず、ステレオタイプな介護が行われがちです。しかし、介護保険制度だけに依存するのではなく、さまざまなサービスを上手に活用することが重要で、介護保険が全てをカバーしないという認識を持つ必要があります。どういうことかと言いますと、多くの人が介護保険制度が万能であると誤解していますが、実際には多くの制約があり、その制度だけでは十分なサポートがうけられません。

これらの認識から、私たちは家族が自ら情報を整理し、プロジェクトマネジメントと逆算思考で理想の介護に近づける計画を立てることが解決策だと考えています。介護は、単にケアを提供するだけではなく、ウェルビーイング、すなわち元気でいることも重要視する必要があり、セットで同時に行います。

このビジョンを達成するためには、介護に対する社会全体の意識改革が必要です。

私たちは、「介護=重い負担」という既存のイメージを変え、「先手必勝」「マネジメント」としての介護を普及させることで、すべての人が尊厳を持って、自立した生活を送ることができる社会を目指しています。

最優秀賞の受賞の喜びを社会実装に向けた力に

ファイナリストの皆様の授業プランとピッチがとても素晴らしく、どなたが受賞しても良いピッチでした。受賞できたことは誠に光栄です。とにかく持続可能な介護の未来を構築したい一心でここまで来ました。受賞の喜びを社会実装に向けた力に変えて気を引き締めてスタートしで参ります。

この日を迎えるまで数えきれない人たちのサポートと、ご尽力をいただきました。

心より御礼申し上げます。
ChatGPT
深刻な介護問題に対する革新的な解決策を提案する弊社のミッションは、家族主導で進める遠隔介護マネジメントプラン「ファミリーケアナビ」によって、介護を必要とするすべての人が尊厳を持って自宅で生活できる未来を目指しています。介護の経験と現場の課題に直面し、これらに対応するために立ち上げたこのプロジェクトは、2024年のI'meビジネスコンテストで最終審査に進出し、私たちのビジョンと実行計画を広く伝える機会を得ました。社会全体で介護に対する認識を変え、全ての人が自立した尊厳ある生活を送れる社会を実現するため、私たちはこの挑戦を続けていきます。

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