【西本理恵のストーリー】
こんにちは、幸せコンセプトメーカーの西本理恵です。今日は、私自身の今日までの長い旅路について皆さんにお伝えしたいと思います。
1982年、私は日本航空の国際線客室乗務員として、世界を飛び回る生活をスタートさせました。しかし、20代後半から健康状態が悪化し、徐々に関節が破壊される慢性関節リュウマチに苦しむことになりました。当時は病名もすぐには分からず、全身の体の倦怠感と関節痛がひどかったことだけが鮮明に記憶に残っています。
その後、地上職に変わり膝の人工関節置換手術を受けましたが、両杖をついての通勤も困難になり、やがて退社することになりました。
横断歩道を渡れなくなった時、見知らぬ人が手を差し伸べてくれたり、声をかけてもらうことが増えました。難病で歩行困難となり、無職になると、人と社会に対して複雑な思いが湧き上がり、自らバリアを作り、猫とアパートに閉じこもる日々が始まりました。(3歳オス猫の里親)
当時の私は、膝の痛みにより階段が辛く、外出が億劫になり、料理も掃除も難しくなり、前職の友人の助けを借りなければ生活できなくなりました。
30代で経験したこれらのことから、「高齢者の不便さや気持ち」「介護ヘルパーを想定した将来の住まい」について考え始め、プー生活で時間だけはあったので住まいのプラン作りを1年かけて行いました。1998年、広島の寒く住みづらい築百年の実家をバリアフリーエコ改築し、帰郷しましたが、20年ぶりの故郷に馴染むことはできず、ほぼ引きこもりの生活をまた広島でもすることになりました。
父親を在宅で看取った後、膝の人工関節が汚染され、長期入院し、関節が固まり要介護5の状態になりました。入院先での在宅生活は無理だと思われていた中、私は「歩けなくても車椅子生活で良い」と決断し、退院しました。家でサッカーと韓国ドラマを楽しむ日々から、ケアマネージャー、社会福祉協議会、ガイドヘルパーボランティアの支援を受け、徐々に社会復帰の道を歩み始めました。
2004年11月、イケメン俳優の来日をきっかけに、電動車椅子で東京に日帰り旅行をしました。韓流俳優イベントでの体験は、私の心のバリアを取り除き、本来の自分の力を目覚めさせました。その5ヶ月後、ヘルパー2名を同伴して困難を極めたソウルへの旅行を実現し、引きこもりからの脱却を果たしました。(自分はこんな重度障害者になっていると知ることで、障害を含め自分自身を受け入れることができ、それより楽しみやワクワクが勝って開き直れた)
私はヘルパーと接する度に、「もし自分が元気だったら、社会のため他者のために何をするだろうか」と考えてきました。ブログ発信を通じて社会課題の解決に取り組みましたがもっと影響力が強いメディアPRを学びたくなり、地方で家から学べるコロナ禍のPR塾で一年間学び、卒業した現在も継続しています。現在は、地域や人に光を当てるPRの仕事をしています。私の目標は、心のバリアフリーを広め、60代を「シニアのジュニア」として使命を極めることです。
日本の人口の3割4割に到達する高齢者が、ただ人生の終わりを待つのではなく、知恵と日本の心を引き継ぐ者として「幸せ」インスピレーションを発する存在になってほしいと心から願っています。世界の中でも季節が顕著な自然と人の思いやり、誠実さなど現在の「幸せ」指標で測れない多様性ある熟成した社会の日本を守ってつなげていきたいものです。
このブログを通じて、私の経験や想いが皆さんに少しでも勇気や希望を与えられれば幸いです。一人ひとりが困難な状況に立ち向かい、前向きに生きる力を持っていることを信じています。😊
西本理恵