Behind story
チャレンジャー西本理恵 ~どん底からV字快復ストーリー
どん底を経験して心を閉ざした廃人生活を送っていたが…「HP、私にもできるかも」と、我が家へ社会福祉協議会からボランティアの方が来てくださって、夢にみたHPが完成(^^♪
一週間に一度、レッスンを受けながら 家族以外と人との交流が閉ざした心を氷解させていたことに当の本人は気づいてなかった。 社会福祉協議会のボランティアの方と交流が始まり、いやいやでも地域の社協だよりに掲載されたり、社会とのつながりが少しずつ出来始めていた。ある日、韓流にはまっていた私のもとにビッグニュースが舞い込んできた…
病院以外の外出は一切しない、そんなひきこもり生活に終止符が打たれるとは、本人はもとより誰も思っていなかったはず。
朝から寝るまで韓流にどっぷりつかって、韓国語を習う
当時の我が家は、日本のテレビ放送はほぼ見てなかった。母も私も、朝から寝るまでスカパーの韓国専門チャンネルを見て、時に二人で涙し感想を語るほど韓流にどっぷりつかっていました。
「韓国語が話せたらいいな…」 こんな私のつぶやきを何度も聞いていた友人が、近くの大学に韓国語レッスンのアルバイト有無を問い合わせをしてくれていたのです。おかげで韓国から留学している学生から自宅で韓国語を教えてもらえるようになりました。
その大学の教授も留学生に日本の家庭との交流を望んでいらしたらしく、友人のおかげで話がすぐにまとまってラッキーでした。母と三人でお茶をしながら学生に私からも日本語レッスン。私も韓国語の発音を教えてもらうのですが、これがむつかしくて~なかなか…。
個人的な見解ですが、韓国語はフランス語と同じような発音が多く、学生時代にフランス語を放棄した私にはハードル高すぎ。しかし、若くて勤勉な学生達との異文化交流は楽しい思い出となっています。
関連
【韓国(語)との出あい】ミッション系スクール広島女学院の高校生だった時、学年の各クラスごとに演劇発表を行うイベントがあった。私のクラスは星の王子さま。他のクラスで、国語古文の先生が担任するクラスの発表を見た瞬間驚いた@@感動した当時のシーンは今でも鮮明に覚えている。
多くの生徒が色鮮やかなチマチョゴリを着て 、羽衣伝説を全て朝鮮語?韓国語? で行う。何を言ってるかさっぱりだったが、いろんな色のチマチョゴリの美しさに見とれつつ、ほぼストーリーは理解できた。
その担任が朝鮮語を習っていると授業で言っていたと記憶してますが、 そのクラスの生徒の一人がカミングアウトして クラス全員で慣れない外国語を懸命に覚えて発表したその試みに、高校生だったけれど私もすごく胸を打たれた。私立で自由な校風(今思うと左寄り)だったからできたこと。
イケメン俳優追っかけ、引きこもりの扉を開けることに!
それほど韓流にハマっていた矢先、お気に入りドラマ「バリでの出来事」の主演チョ・インソン氏が来日する情報をキャッチ。 それはもうパソコンの前で絶叫!!気が狂ったように「キャ~~嬉しい!!」の連発。
私は病院以外に出かけたことがない引きこもりを6年も続けていたくせに、広島在住だから会えないな、東京に居たら逢えたのに〜と悔しがったりした。 そこで、せめて花束だけでも贈りたいと思い、日比谷花壇のサイトを覗いていた時のこと。綺麗な深紅のバラや赤い実のブーケの情熱的な色に触発されたのか、宿泊は無理でも
「日帰りで広島から東京に行けるかしら??…」
と、自分でも驚く発想が浮かび上がってきたのです。
何かあったときのことを考え、主治医のキン先生に相談すると、
「大丈夫かねぇ?」
と、行ってらっしゃいどころか、心配の言葉を頂くほど無謀だったのです。
正直、私も電動車いすで日帰り旅行するのは不安でした。しかし、入院した時にお世話になったヘルパーさんに同行してもらえることになって、大きな不安はなくなりました。
新幹線の時刻を調べ、電動車椅子が乗れるタクシーを予約し、東京駅から目黒までの移動手段を考え、最終の新幹線で広島駅に24時に到着 そしてヘルパーさんとお別れして一人で自宅へ帰る…シミュレーションを何度も行い 、なんとかなるだろうと自分でGO を出しました。(母やヘルパーさん みな心配(*_*;)
東京駅に迎えに来てくれたエアライン時代からの友人と会えた時、本当に会えた!と涙が出そうに。 家から一歩出て、懐かしい東京に再び戻ることができた喜び。私の中で失われたブランクが終わり、再びスタートし始めた感覚を掴むことができた友人との再会でした。
初めての韓国流ファンミーティング体験 チョ・インソン
生まれて初めての韓国流ファンミーティング体験は、会場に入った瞬間から大音響の音楽と舞台いっぱいにイケメン俳優が映し出され、私の脳みそはシェイクされ目が回りそう。
かつて仕事で俳優はスターたちを目の前にしても、何も思わなかった私が、「こんな所に来ちゃってるよ おかしいーりえちゃん」←これが私の最後の冷静なつぶやきだったかも?!
ファンミーティングが始まるや、 それまで私が堆積させコーティングしたた分厚いカラは、バリバリと一瞬で壊れました!黄色い声が半端なく鼓膜が破れるかと。でも「このメロメロ感 ハマっちゃうー」
無事に自宅まで帰宅してヘルパーの方に手伝ってもらってベッドに横になっても、夜中の2時過ぎまで眠れません。興奮して!
スターというのは本当に目がキラキラしてるんだ!作品の中の俳優の姿が一番のお気に入りですが、初体験のファンミーティングは、 私のブレイクスルー記念日となったのです。
この後、私にスイッチが入って新たな時代を迎えることになります。東京を離れて六年。サンフランシスコまでの飛行時間と同じだけ新幹線の車中にいる日帰り旅行は、今ではとても考えられないことです。でも、この日の限界突破がなければ、今の私はなかったでしょう。
何かに狂ってみるのも悪くない。芸能界に興味がなかったのは過去の話。
2004年11月半ば、身長一八六㎝のイケメン俳優が来日し、会いたい人に会いに行くことで、長かったひきこもり生活にピリオド。若いイケメン俳優に出会えたことはラッキーなことでした。
限界突破バンザーイ!
人生、何が起こるかワカラナイ!
自宅からいきなり東京に行って 韓流にはまってしまった私は、このあとビッグウェーブに乗って ソウル浪漫飛行にチャレンジすることになるのですが・・・change4へ