いちばん怖いのは「大切なものが、知らないうちに奪われること」
気がつけば今日は大晦日。
皆さんの2025年はいかがでしたか。
私は年々「1年経つのが早い」と同じことを言ってる気がしますが。笑
充実していたと思うことにします。
さて、1年を振り返って深層心理はどうだったか、友人から教えてもらったチャットGPTに深層心理を聞く「私のやり取りの中で繰り返された言葉や、チャッピーが感じる私の深層心理を予測でいいから書いてみて」と尋ねました。
そこで書いてあることを読んで思ったこと。
私がいちばん強く反応するのは、誰かの尊厳や選択肢が、制度や偶然や沈黙によって“じわじわ削られる”構図だそうです。
介護・お金・終末期の意思決定・企業の理解不足…りえさんが一番反応するのは、本人や家族の尊厳が“知らないうちに”削られていく構図です。
介護でも、家族関係でも、仕事でも。「気づいたときには遅い」という状態が、ものすごく苦手。
「細かい人」ではないです。たぶん私は“奪われないための仕組み”を持ちたくてたまらない人なんだと思う。
何を奪われたくないか
それは多分自分自身のあり方。
言い換えるなら、私はずっと、人生のハンドルを手放さないための知恵や方法、工夫する方法を探し求めてきたように思う。
私の中には昔から、「頑張れば何とかなる」という言葉に対する違和感があります。
体が不自由になって車椅子を利用する状態になった時、頑張ってもできないことはできないですし💦、そこでエネルギーを消耗するより頑張れる人だけが救われる世界は、取りこぼしが必ず出る。
頑張ろうと思っても頑張れないことだってあるし、振り返ってみると自分自身がそんな時が多かったです。そこが私は耐えられない。
だから私は、仕組み化に気持ちが向くのでしょうね。
強い誰かが引っ張るのではなく、誰でも最初の一歩が踏み出せる形に落としこみたい。人生の後半、機能が落ち、物忘れが多くなり、誰でも介護が必要な時がやってくるのですが、変容した現在の社会で「尊厳が守られながら終末期を迎える」ことが本当に難しくなっています。
「人生を、手放さない。」は、理想論じゃなくて設計できます。
そんなふうに信じたいし、信じられる材料を積み上げたいんだと思います。
遠隔介護の遠隔とは
私が言う遠隔介護マネジメントの「遠隔」は、距離の話だけじゃありません。
仕事や事情、体のこと、いろんな理由で“いつもそばにいて直接ケアできない”状況も含めて、私は「遠隔」と呼んでいます。
2025年の年末、姪たちが国内・海外から帰ってきました。今はLINEなど家族ツールが家族や友人との関係をより良いものにしてくれています。
オンラインで注文やギフトを送ることもサクサクと5分で完了。国内からでも国外からでも、どこからでも双方向で関わり合うことができます。
AI の普及 も目覚ましい!
でも一番必要なのは“想い”があるかどうか。
そばにいられない=愛が薄い、ではないです。
そばにいられなくても、判断の質や尊厳は守れるし、守りたいですよね。
日本の国のあり方、調和を尊ぶことが失われつつあることが、たぶん私の人生の根っこにずっとある痛みで、そのことを感じると同時に、それは力にもなります。
何か方法はないか
遠回りになってもそれを厭わず、こうすればいい!という日本の先達の知恵みたいなものを引き継いでいく・・・
私は便利になった世の中ですが、その分諦めるのは早すぎだと感じています。考えなくなったのかなー?!
日本の介護問題に必要なことは、早期の判断と地域やネットにある情報をフライングOKなので実践していくことです。
みんな頭でがわかっていらっしゃると思うので、多くの人より早期に介護を受けることになった私が情報と解決策→実践をバンバンお伝えし、できるようにしていこうと思います!
広島を掘り起こす作業が“驚くほど楽しい”理由
チャット GPT に“リエさんは尊厳と仕組み化が好き”と言われた私ですが、6月から参加している広島県を世界トップ10国内トップ3にする「広島の魅力を掘り起こし、再編集していく」プロジェクトに関わってみて、思った以上に心が動いています。
研究員に選ばれた理由の一つは、観光と言ってもユニバーサルツーリズム・インクルーシブな事業構想という点だと思います。
正直、ありがたいと感じています。😊
私は18歳で家を出て東京へ行き、38歳で広島に戻りました。
戻ってきたのに、長い間、外に出かけることがほとんどなかった。
(行きたい場所がないというより、行けると思える条件が揃わなかったのかもしれません。)
でもアラカンを過ぎて、今さら広島をもう一度知り、学び直すような時間があるなんて、思っていませんでした。
「いまの私」にとって、これは“人生のご褒美”みたいな学びです。
広島県は連続転出超過。
コロナを経て、ますます人と人のつながりが減り、家族でさえ、隣の人でさえ、コミュニティの関係が希薄になっている。私はそう感じています。
そして、体が不自由になって車椅子で出かけるようになると、その感覚はさらに強くなりました。
行こうと思えば、どんなに大変でもソウルでも東京でも行ってしまう。😊
でも、近くの広島で「どうしても行きたい!」が増えていかないのは、魅力がないからではなく――
“欲張りな私に刺さる条件”が、まとまった形で見えていないからだと思うんです。
車椅子の私が「また行きたい」と思うのは、場所だけじゃない
私は、単に「ここが観光地です」だけでは動きにくい。広島はバリアフリーも整っていないです。
場所だけじゃなくて、
移動が現実的(遠すぎない、段差や導線が読める)
景色が良い(“わざわざ行った感”がある)
食べ物がある(その土地の理由がある味)
人や物語がある(会いたい・聞きたい・応援したい)
ついでに寄れる(複数の満足が連なる)
こういう“複合的なポイント”が近い範囲にそろって、初めて「行ける」「また行きたい」になるのです。
つまり私は、合理的でわがままなんです(笑)。
でも、この“欲張り”って、実は多くの人の本音でもあると思う。忙しいし、体力も限られてる。だったら一回のお出かけで、心も体も満たされたい。高齢化社会の観光・お出かけは、お手洗いや段差・休める場所など配慮と合理的なメリットも必要ですね。
本当はあるのに、ホームページ掲載がなく知られていない。だから見せ直す必要があります。
広島の魅力は、本当はたくさんある。
だけど「点」で伝わっていて、「線」や「面」になっていない。
人が離れていく時代、つながりが薄い時代だからこそ、“行ってみたくなる形”に再編集する必要がある。
私は介護の世界でも、同じことを感じてお伝えしています。
本当は制度も支援もあるのに、知られていない。使われない。
ならば、使える形に整え・言葉にする。順番を作る。
広島の観光でも同じ。
欲張りな人に刺さる「組み合わせ」を見える化できたら、きっと近場でも心が動く人が増える。
外へ出る理由が、地域の中に戻ってくるはずです。
おわりに
私の深層心理ベスト3をまとめると、結局こういうことです。
大切なものが奪われるのが怖い
だから、根性ではなく仕組みで守りたい
そばにいられなくても、仕組みで居続けたい
これらがあるから、介護も、企業も、そして広島も、私は“コンセプトメイク設計”したくなるのだと思います。
そして今、広島の魅力を掘り起こす作業が楽しいのは、きっと「広島には、まだ取り戻せるつながりがある」と感じているから。
もしよかったら、教えてください。
あなたの「広島の推し」はどこですか?
食べ物でも景色でも、人でも、物語でも。💕
今年1年、検索などでこのサイトにいらっしゃった皆様、ありがとうございました!
素晴らしい2026年をお迎えくださいね😊