旅行

やっと到着 仁川空港

インチョン国際空港の建物からやっと出ることができ、時刻は18時過ぎ。11月半ばのインチョンは、すっかり暗くなって風はひんやりしていた。

メモ

ソウルに向け出発する [電動車いす海外旅行6ドキドキ離陸]の続きです。重度障害で介護が必要でも問題を解決しながら旅を楽しむ。「行ってみよう」と何かヒントになって旅の計画の一助になれば嬉しいです。

二年ぶりに再会したドライバーの金さんと互いに元気で会えたことを喜びあう。私だけでなくヘルパーユリさんも出発前から「金さんお元気かしら?」と再会を楽しみにしていた。

これまでソウルで多くの韓国ドライバーさんに親切にしてもらったけれど、キムさんは特別。
十年近くお世話になっている人なので、再会の喜びと感激も恋人級なの(←言い過ぎかしら(*^^)v)

私たち一行の荷物は五個もあってこれが問題だった。(今後は三個くらいにしなくちゃね)
それプラス、福岡で買った「博多ラーメン」やら「めんべい」などのお土産まで。
電動車いすの私を入れて四名と、ドライバーさん、そしてドヒちゃんママ。

出発前に「車に乗れるかしら?」と確認メールを送って気にはしていたものの、「ケンチャナヨ(大丈夫)」という返事に「まっいいか」な自分だったことを少し後悔した。

やはり荷物が多すぎた〜〜
結局ヘルパーユリさんが、後方車いす乗り場の私の横にあるタイヤ台に、不安定なまま座ることで全員が乗車できた。

ヘルパーユリさんは、いつも状況を察して解決する達人。
この時も「私がココに座ります」と直ぐに場を丸く収めてくださった。いつも申し訳ないと思うと同時に感謝しかない。

電動車いすの私とチャレンジをサポートしてくださる良き理解者の存在があるから海外旅行ができることを私は忘れてはいけない。ソウルへ旅行する時は「これが最後になるかもしれない」と、毎回思ったりする。

荷物と私たちが何とか車に乗ることができ、やっと仁川国際空港を後にしてカンナムの目的レストランに向け出発。(^^♪

何度もソウル市内に向かう高速道路で渋滞を経験してきたが、今回も事故があったのか、救急車が走行車線を走り去ってノロノロ運転になったり、止まったり。しかし車内ではドヒちゃんママが日本語を話せたので、ユニクロの不買運動など話題は尽きなかった。

1時間20分近くかかってやっと「ハヌリ韓定食」に到着した。「あーお腹が空いた」×100!(^^)! 機内食を食べてなかった私はなおさら。

また試練が待っていた!エレベーター

最初は江南ハヌリ本店に行くつもりだった。しかし週末はキャンセル待ちもできなかったらしく、すぐ隣にある韓定食レストランに予約してもらった。
急なスロープを上がりきって、いざエレベーターに乗ろうとすると、小さい!

横長で奥行きが全くないエレベーターじゃないですか!

@@

腹ペコで楽しみにしていた会食の直前にこんな試練が待ち受けていたとは。
もー言葉が出ない。涙もでない・・・私には無理だと心底がっかり。

これまでエレベーターに乗れなかったことが二・三度あったと思う。韓国、福岡で一度。4人くらい入れる横長の小さなエレベーターでは私の電動車いすは無理なのだ。

運転が上手いと自負する私が「あーもう無理だわ」と諦めていると、ドライバーの金さんが「大丈夫大丈夫」と言って、手動で私をバックでゆっくり回転させ、ヘルパーさんと車椅子がピッタリ1台入るスペースに完璧に乗せてくださったのだ。

さすがキムチさん!
あきらめない心を教わった。

ハヌリ韓定食 ハヌリ・ハンジョンシッ 한우리 한정식 ソウル > 狎鴎亭,江南

ドラマのドラマの撮影で使えそうなほど素敵なレストランだった。
お座敷と個室があって落ち着いた雰囲気。とても気に入りました。

ドライバーの金さんは、「私は気楽にちょっと外で食べて待っている」とおっしゃった。金さんがいない食事なんて!
「そんなこと言わずにぜひ一緒に〜」と、みんな一斉に大声で誘ってご一緒することができ、ホッとした。

このドライバーの金さんは、日本語が少しだけ話すことができる。八年前だったか、帰国前にヘルパー二人がお土産を買いに車から出て、車内に金さんと二人きりになった時、韓国語ではあったが北に親族がいて離散家族になったことなどを話してくださった。

手紙や電話で話せず身内親族を想って暮らす離散家族問題。
文政権(※2020年3月現在)の大統領も離散家族の当事者で、今年になって韓国政府が離散家族の個人観光を第三国を経由すれば北朝鮮個人旅行できるよう推進したいというネットニュースを読んで、すぐ直ぐに金ドライバーさんを想った。
だけど新型コロナ問題で遠のいてしまったかもしれない。

ドヒママとの出会い・・・

2004年チョインソンファンミッティング初来日で引きこもりから脱出するきっかけになった東京旅行。初めて会ったドヒママさんは、文京区の赤門大学に通う院生だったので日本語は完璧だった。もちろん「はじめまして」..ではあったが、なんだか以前からの友人のように思えて、夫婦が帰国してからも嬉しい交流が続いていた。

当時幼稚園だった女の子が、今ではソウルの大学に通う20歳の大学生。
今回、お嬢さんと一緒に会えて嬉しかった。食事しながら隣にいる娘を前に「日本語はしゃべれなくなっていますけど」とママは言うけれど、ほんの少しはわかっているんじゃないかな?とも思った。

だって私も韓国語を話せないけど何となくわかるもん。(*_*;

ドヒママは帰国後も、小学生になるのに韓国語を上手く喋れない娘のことを心配していたが、しばらくたって
「私の方が帰国して馴染めていません」
こんな予想外のメールを受けて私は心配したりもした。確かに10年東京で生活すると、母国といえどもカルチャーショックは最初はあるかも。
その後、私はイケメン俳優追っかけに夢中になり、ソウルへ行く機会が増えたのでドヒちゃん達とも連絡が途絶えることなく続いてきた。

日本語翻訳ができるドヒママは、職場で期待され、休日返上で育児と仕事を頑張ってきた。私も励まされて会うたびに「また会いましょう」と再会を嬉しく思ったものだ。
出発前にお土産リクエストを聞いたら、
「もうないかな、『すみれ堂』のザラメせんべい」
20年以上も前、東大の近くのお店で数枚買って帰るのが楽しみだったとか。『すみれ堂』をネット検索で見つけ、友人が希望しているせんべいがあるか問い合わせすると、ザラメせんべいは販売していなかった。
代わりにギフトセットやバタータンなどを買ってお土産にしたのだが、この時、親切な店主の対応に「良き日本の心」を感じて私が嬉しくなった。せんべいには日本の「粋」がある。

「よく不登校にならずにソウルの大学に行ってくれて感謝している」と言った彼女の思いが私の胸をうった。また彼女たちとソウルか日本のどこかで会えるといいな(*^^)v

 

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