介護

電動車いすで海外旅行 2 自宅出発〜

出発当日、早朝六時から訪問介護を始めた。朝食、歯磨き、着替え、排便とヘルパーによる在宅介護サーヴィスを終え、リフトで電動車いすに乗せてもらう。
いつもと違うのは、紙おむつの装着だ。
二00五年、重度障害者になって初めてソウルへ行くとき、尿漏れパッドだけで飛行機に乗った。いざとなれば漏らしても大丈夫だろうと自分なりの安全策だったが・・・
実際は、電動車いすから機内用車いすへの移乗と座席に抱えられて移乗、ズボンが脱げそうなほどぐちゃぐちゃになり、「この姿勢でおしっこはできないな」これが実際の機内座席で思ったことだ。
言うまでもなく、仁川空港に到着後、真っ先に駆け込むのはお手洗い!

尿漏れ対策としてテープ固定式の紙おむつを装着するようになった。メリットは腰回りが暖かいから尿意が半減すること。イザというときの心理的なお守りのようなもので効果は絶大。何でもっと早く利用しなかったのだろうと思ったほどだ。

身体が不自由になっても気持ちは健常者のままでいたいと思っていた。それで良いこともあるけれど、自身が客観的に自分の状態を認識できてない部分が「紙おむつ装着」への抵抗だったと思う。韓国のソウルまでの飛行時間が、広島・福岡から短いこともあり「紙おむつ」より我慢するほうを選んで「まだ大丈夫」と僅かな自信を持ちたかったのだろう。

二0十九年、心配と不安をかなぐり捨てて旅を楽しむ方法を身に着けた私は、お気に入り紙おむつをつけて電動車いすに座る。

お化粧をしてもらってピアスをすればレディーGO!
しかし、同行のヘルパーは最後の荷物詰めやチェック作業で大忙し。当日にならないとカバンに入れられない物品があるからだ。携帯の充電器とか化粧品など。
バタバタと出発準備をしていると、出発予定の朝9時になった。
家を出る前、ベッドで寝ている母に「行ってきます」と大きな声で挨拶したが・・・

母は昭和四年生れ。認知症が酷くなってきている。在宅酸素療法で鼻にチューブをつけて生活しているのだが、まだ気持ちよさそうに眠っていたので、もう声かけするのはやめた。私が数日間いなくなることを察して不安になる母を見たくなかったからだ。
今年の春、肺炎になって入院した時も「突然のお別れ」を覚悟した。九十歳をすぎてからは、明日は不確かだと毎日思いながら暮らしているので、お互い何があっても「あの時起こして挨拶しとけばよかった」とは思わないと自分に言いきかせ、覚悟して家を出た。

ソウル旅行中の三日間の留守中に「りえちゃんはいつ帰る?」と何度ヘルパーさんや兄家族に尋ねるだろうか。認知症の進行が進み、ある時期から重度障害の娘の外出を心配するよりも自分のことで精一杯になったのか、私が外出して遅く帰宅しても、
「心配したよ」と言わなくなってきた。
「どこ行っとったんねぇ」
と、やつれた顔で小言を言われるたび、ごめんねと思ったものだが、今は認知症でよくわかっていないのか??旅行から帰っても顔色変えず、いつものように椅子に座って異次元の世界にいる。母が家で変わらず待っていてくれるだけで私はホッと安堵する。

私たち母娘は、二人合わせても半人前にもならない。私は身体が不自由で電動車いすに乗り、母は認知症で会話がまともにできない。しかし、在宅介護サーヴィスを利用し、多くの助けを借りながら、工夫と生きる知恵でなんとか互いに支えながら暮らしている。

気管支や心肺機能が低下しているの母には、この冬は厳しい季節になりそう。また私の介護環境も厳冬になるだろう。というのも、夫の転勤で広島でヘルパ―をしているプラムさんは、物音をたてず楚々と一定のリズムで安心介護する達人なのだが、来年この方の転勤が決まっているのだ。介護を受ける本人や家族にとっては、介護ヘルパー交代は、身体の不自由さや疼痛よりもツライかもしれない。
この先の自分の介護環境のことを想うと、早くも暗く重い気持ちになってしまった。だからこそ、私は思い立った。
今ならソウルへ行ける!
リフレッシュしてこよう!

試錐を重ね、ソウル旅行をプランして、ネット検索しながら現実逃避。先々を想って暗くなるよりも、私は非日常の楽しみやチャレンジ構想を練り、日々を埋め尽くして過ごす方を選ぶ。

最重度・要介護5の私は、介護ヘルパーさんが同行してくださって初めて旅行ができる。二00九年からソウルへ五回の同行経験があるユリ子さんはベテランヘルパーさんで、この方がいるから再び訪韓できると言っても過言ではない。
今回の旅行プランも、先ずはユリ子さんと所属介護会社の承諾を得ることから始まった。

朝九時、電動車いすで乗車可能なリフトワゴン車が駐車場に迎えにきていた。この車は、社会福祉協議会がボランティアのドライバーを募って運用管理している。うさぎ号と名付けられたワゴン車は、会費とガソリン代を支払えば車椅子を使う人が利用でき、朝九時ー五時で月三回まで利用できる有難いシステムだ。利用実績とボランティアのドライバーの激減により存続が危ぶまれているらしい。利用できるときは必ず利用している。
というわけで今回のソウル旅行の出発時は、ガソリン給油代金で利用できるうさぎ号を利用させてもらった。ドライバーは、定年退職後にボランティア活動をしたかったとおっしゃるナカヤマさん。細かな気遣いがあり、ガイドヘルパーとして頼もしい方で、外出の同行をしょっちゅうお願いしている人だ。野鳥の会や視聴覚の便利ツール開発と多忙な中、新幹線乗り場まで車を走らせてもらった。

「忘れ物ない?」
「出発していい?」

こう聞かれるのには訳がある。二年前の訪韓時、家を出て新幹線駅へ向かう途中、ヘルパーのユリ子さんが
「あっ忘れた!」
と大声で叫んだ。電動車いすの背もたれ上部に装着できるヘッド部分を忘れていた。私は不便を感じないし、家まで引き返さなくても良いと思ったが、ヘルパーのユリ子さんは違った。韓国の介護タクシー内では、後ろに倒れて少し斜めに停車して固定される。ヘッドレストがある方が良いと介護する立場での判断で、私たちはUターンして家に取りに帰った。
ヘッドレストがあると、身体を支える点が増えてラクなこと、リクライニングすれば簡易ベッドにもなる。介護福祉士の経験が長いユリ子さんのぶれない判断力と姿勢が信頼でき、ソウル旅行の時は同行をお願いしている。
電動車いす旅行は、旅先で安全で体調良く過ごす
家に引き返したことで予定が狂ってしまい、発車直前の新幹線にみんなで汗だくで飛び乗って博多に向かった。毎回、ハプニングが何かある(笑)
なぜハプニングが起こったのか・・・
一言でいうと普段は装着しない車椅子パーツだから。前日は覚えていても当日バタバタと出発準備に追われて、私もヘルパーさんもスコンと抜け落ちてしまったのだ。
二年ぶりにソウルに行く今回は、前日からヘッド部分を出口に置いて忘れないようにした。海外旅行はミスや改善点を紡いで、より良いものになっていくものだ。

二〇十九年、十一月。予定通りに家を出発することができた。私は、旅が始まる最初の駅に向かう車中での高揚感が特に大好きだ。

これから遠くに行く!
海外のソウルへ行くんだ!
決まった時間の訪問介護生活ではなく、また母の介護指示もしない、非日常の旅の始まり。

いつにも増して饒舌になっている私の横では、ヘルパーのユリ子さんが一人だけ集中して考え事をしていた。頭の中でチェックリストをリマインドしてくださっていたに違いない。

もともと風のように自由に移動するのが好きだった性質のわたしは、慢性関節リュウマチになって動けなくなったことが一番つらかった。帰郷後に六年間も家に引きこもっていたが、それでも旅をしたくなるのは、自分自身と記憶や社会生活に必要な勘とスキルを取り戻すことができる最善の方法だからだと思う。

介護をうけて家にいる人、受けていなくても身体が不調で家にこもって不活性の人ほど、定期的な気晴らしが必要だと思う。気を晴らすには、遠くに行くほど効果があると確信している。だから私はソウルに行く。

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